本文へスキップ

Association for Sakhalin & Karafuto History


サハリン樺太史研究会

追悼 

アレクサンドル・コスタノフ(Александр Костанов)博士     2014年9月29日

アレクサンドル・コスタノフ氏逝去

 2014年9月8日、サハリンの歴史家アレクサンドル・コスタノフ氏が逝去されました。61歳でした。

 コスタノフ氏は、サハリン州文公文書管理局長を長くつとめ、サハリンの文書館行政に多大な貢献を果たしてこられました。サハリン州国立歴史文書館は、ロシアの他の公文書館と比べて、研究者が格段に利用しやすく、またソ連時代の機密資料の公開も大きく進んでいます。これらを組織してきたのがコスタノフ氏です。

 彼は、著名な歴史家でもあります。ミハイル・ヴィソーコフ氏とともに、ソ連時代の硬直したサハリン史学の刷新を進め、サハリン島近現代史研究をリードしてきました。『ロシア人によるサハリン開発』(1990年)、『サハリン島・クリル諸島のロシア正教会』(1992年)、『シベリアの歴史史料史』(2007年)などの単著のほか、200点以上の学術論文があり、さらに、サハリン島の通史である大著『サハリンとクリル諸島の歴史:古代から21世紀まで』(2008年)の共著者のひとりとして、近現代史の多くの部分を執筆されています。2011年には、シベリア・極東地域の公文書管理の歴史の研究で歴史学博士号を授与されています。

 コスタノフ氏は1952年10月18日、ロシア南部クラスノダール地方にあるアドゥイゲ共和国の首府マイコプ市に生まれました。1968年にサハリン州にうつり、クリルの中等学校で教師をつとめた後、サハリン州郷土博物館(1977〜1980年)、ユジノサハリンスク教育大学(現サハリン国立大学、1980〜1984年)を経て、1984年から文書館行政職をつとめるようになります。2013年には、ロシア最大の公文書館のひとつであるロシア国立歴史文書館(サンクトペテルブルグ)の館長に栄転されました。サハリン時代よりもはるかに多忙になったものの、精力的に仕事をされていると聞いていました。ですから、今回のことは本当に突然のことで、彼を知る誰もが驚いています。

 サハリン時代には、シンポジウム等で来日されることも多く、2010年10月に札幌でおこなわれた国際シンポジウム「ロシアと日本の研究者の目で見る日露戦争サハリン戦の歴史」での報告「日露戦争とサハリン戦に関するロシア国内文書館の歴史史料:時空間の詳説」は、多くの会員の皆様もお聞きになったかと思います。

 サハリン州歴史文書館には、樺太時代の史料も多数所蔵されていますが、コスタノフ氏は、日本人がそれを利用するための協力を惜しみませんでした。ぼく自身、毎年のようにサハリンを訪れ、文書館で勉強していましたが、そのたびに彼のオフィスで話をすることが楽しみでもあり、また大いに勉強になりました。サハリン・樺太史研究会を中心とした日本での研究の進展をとても喜び、またとても期待してくれていました。サハリンの歴史を広い視野をもって、詳細に解明する彼の仕事を受け継いでいくことで、彼の功績と友情に応えていきたいと思っています。

 ほんとうに残念です。ご遺体はサハリンに埋葬されます。近く花を手向けにいきたいと思っています。

                                 サハリン・樺太史研究会副会長 天野 尚樹


 長く親交のあった小山内道子会員にも思い出を書いていただきました。


 コスタノフ氏の突然の訃報にただ驚いています。つい先日、8月中旬過ぎにナターリア・ポターポヴァさんにお会いした時、コスタノフさんは急にペテルブルグの国立文書館の館長に栄転されたと聞いたばかりだったからです。

 実は、私はコスタノフさんとはその著書を通してかなり前から係わっておりました。もう7,8年も前のことですが、釧路に居りました頃、当時釧路公立大教授だった松井憲明さんからコスタノフ氏の著書『ホルムスク市の歴史のページ』(1990年)の翻訳の提案を受けました。釧路市はホルムスク市と姉妹都市で、 時々代表団の交換などの交流はありましたが、その歴史等はほとんど知られていなかったからです。既に原著は入手できませんでしたので、松井氏からコピーをいただき、少しずつ読み始めました。しかし、長続きせずその後別のテーマにうつり、この本は「お蔵入り」となってしまい ました。
 
 2010年10月、北大でのシンポ ジュウムにサハリンから大勢いらした中にコスタノフ氏がおられ、初めてお会いしました。『ホルムスク史(の数ページ)』翻訳の件も正式に 了承していただきましたので、最後まで目を通して、文章化にとりかかりました。第3章までは18〜19世紀を扱った私の不得手な分野で、四苦八苦しましたが、なるべく先を急ぐことにして、3分の2くらいは訳終えたでしょうか…2011年8月の稚内シンポにコスタノフ氏は参加予定でしたが、急に欠席となり、拍子抜けの感となりました。ヴィソーコフ氏とサマーリン氏にこの書についてコメントを求 めますと、異口同音に「ソ連時代に書かれたから(1990年出版)、改訂が必要だと思う」とおっしゃるのでした。確かに前半の叙述には日本側についての言及など全くなく、秋月俊幸先生にご相談するつもりでいましたが、稚内以後は再び「お蔵入り」となってしまいました。ただ、今回古い原稿を探し出してみますと、日本側の資料を使っていないとはいえ、ロシア側の資料は十分すぎるほどで、全体として非常に緻密で詳細な叙述は、1945年のソ連軍進駐以後 のロシア人移住とソ連化、社会主義化の施策について述べた部分を含めて非常に興味深い印象が残っていますので、今一度読み直して、コスタノフさんの記念にこの著書を何らかの形で生かすことが出来ればと考えています。

 心からコスタノフ氏のご冥福をお祈りいたします。 
 
                                               小山内 道子

サハリン樺太史研究会

入会・お問い合わせはこちら